ツタヤな日々

自閉な日々

asdでsadな日々の記録。

📝独白

午後に「スマホを落としただけなのに」の続編映画を観てから、「ソロ活女子のススメ」を見て主人公の成長を感じても、「あちこちオードリー」を見てMCの労力を知っても、ずっと胸に引っかかるものがある。それは小学生の頃、3歳年下の妹にたびたび振るった度を越えた暴力に対する後悔。兄弟喧嘩なんていう可愛らしい領域ははるかに超えてた。自分よりも力が弱い者に一方的に暴力を振るう、ただの虐待。作中の主人公の母親が幼少期、主人公を虐待していたことを自白するシーンで、過去に自分が妹に対してした映像がフラッシュバックして、少しの間映画の内容が頭に入ってこなかった。

今でこそそれは自分の発達障害に原因があったのではないかと思う。学校でも家でもすぐにカッとなって、普段は大人しいけどキレると何するか分からない存在としてクラスメイトに認識され、妹には心の底から恐れられてた。この頃自分は円形脱毛症を発症して、紆余曲折あって今ではスキンヘッドで生活している。今までは円形脱毛症に負い目があって内気な性格になったのかなって思っていたけど、実際は発達障害だったから円形脱毛症になったのではないかと、昨日突然思い至って衝撃が走った。当時通っていた病院の主治医からもストレスが原因だと言われてはいたけど、思い当たる節もなくて釈然としなかったバラバラの線が一本に繋がった。対人関係が上手く築けないストレスは、自覚なくても相当のものだったんだろう。

ときどきYouTubeで、ASDの子を持つ親の家族動画を見かける。ついつい再生しちゃうけど、動画の内容は通常学級から支援学級に移った親目線の感想とかそういうの。自分が小学生の頃は今ほど発達障害が認知されてなくて、ずっと生きづらさを抱えてきた。今と同じ情報が当時にもあれば、少しは違ったかもしれない。発達障害は自分がした事の免罪符にはならないし、暴力を振るったときはいつもキレてたから、生きづらさのストレスとは関係ないような気もする。中学生になってからは暴力は振るわなくなって、代わりにずっとベッドで声を殺して泣いてた。今でもわりかし鮮明に覚えてるけど、振り返ってみると感情の振れ幅が激しくて普通ではなかった。よくいじめた方は覚えてなくても、いじめられた方はずっと覚えてるっていうけど、忘れられる訳はない。妹を傷つけたことは自分の中の十字架で、今後もずっとなくなる事はない。